冷戦の影響と国際協調の経済劇
昭和時代の終わりに日本を席巻したバブル経済の背景には、複雑な国際情勢が絡んでた。この経済的な盛り上がりの一大要因として、1985年に締結された「プラザ合意」が挙げられる。
この合意は、当時の米国が直面していたドル高問題を解決するため、米国を含む主要国が協調して為替市場に介入し、ドル売りと他通貨買いを行い、ドル安を促進するというものであった。この時期、米国は財政赤字と貿易赤字という「双子の赤字」に悩まされており、東西冷戦の緊張が高まる中で、ソ連もまた経済的な息切れを感じ始めていた。
米国は、西側諸国の結束を固め、最終的な勝利を確実なものにするため、同盟国に対して自国通貨の価値をドルに対して引き上げるよう要請した。
これにより、対米輸出が不利になることを承知で、西側諸国は米国の負担を軽減するために協力したのである。米国の双子の赤字がなぜ手に負えなくなったのかというと、それは冷戦の深刻化と無関係ではなかった。カーター政権下の米国は、アフガニスタン侵攻を機に、軍事的な強硬姿勢を取り、これに対し、ソ連はブレジネフ指導下で、米国の弱腰を好機と捉え、軍備拡張に励む。
核兵器を使わずに西欧や日本を占領するというシナリオが現実味を帯びてきた。
冷戦の影響と国際協調の経済劇
しかし、1981年にはレーガン政権が誕生し、米国は軍事予算を大幅に増額し、ソ連との対決姿勢を鮮明にしました。レーガンは、カーター時代に失われた軍事的均衡を回復し、冷戦状態を再安定化させることを目指しましたが、その過程で第三次世界大戦を引き起こしかねないほどの緊張を生み出した。
日本は、これらの短期的な国際情勢とは無関係に、対米輸出を通じて高度成長を続け、米国の貿易赤字の大部分を占めるまでになった。
戦後の日本は、日米安保体制による国土防衛の依存と、軍事費を抑えて民間発展に資金を回すという戦略により、経済力と生産力を高めてきた。
レーガン政権下の米国は、西側を守るために強硬姿勢を取るほど、双子の赤字を増やす悪循環に陥りました。英国、フランス、西ドイツ、そして日本は、ソ連の脅威を取り除くために、ドル高に貢献することを選択したのだ。