バブル景気から平成へ企業と個人の試練と変革
先日機会がありネットフリックスで「トッカイ」という連続ドラマを鑑賞させていただきました。昭和から平成に突入した頃、バブルがはじけ銀行は破綻する、もちろん証券会社も破綻するそしてバブルに踊らされた人々も大変な被害を受けた。
私の先輩はもともと中堅の家電販売の電気屋さんでした、やがて手広く建売住宅の販売や土地の売買、そしてラブホテルを数件持っていてとても羽振りがよかった時代でしたが、突然バブルがはじけ大変な思いをされていた。
「RCCはえげつないわ」と愚痴をこぼされていたことを思い出します。
彼もまた被害者でした。
当時、私は設立されたばかりの小さな会社の代表取締役でありました。幸い私どもの会社はバブルに踊らされることなく営業を続けました。
その頃のエピソードですが、取引銀行の外交が頻繁に当社に訪れブリーフケースから土地や建物のカタログを出してこの物件1億ですが買いませんか、この土地が3億ですがどうですと営業をかけてきます、本来銀行マンの仕事ではなくまるで不動産屋のような営業でした。私はそんなお金はありませんよ、到底買えるものではありません、年商1億を満たない零細な会社ですからとても、とてもと申しますと。
その銀行マンは「融資は大丈夫です、満額出ます」私は驚いていますと、社長は金利だけ払ってくれればいいですよということです。土地一坪250万円が、僅か一年後3倍の800万円になる時代でした。
なんともすごい時代でした。
もう一つエピソードを、当時わたくしの会社は特殊なおもちゃの部品を作っていました、企画設計などしており、製造は協力会社さんにお願いをしておりました。
その協力会社さんとは非常にいい関係を五年ほど続けていたのですが、やはりバブル突入後に仕事のやり方が変わってきました。
支払いはすべて前金現金で払えと、と言ってきたのです。
私ども中小企業からの注文はすべて後回し、大手大口の注文が最優先で、制作納期に間に合わないことが多々ありました。
そのため私どもの得意先にご迷惑をお掛けし私どもも大変なおしかりを受ける羽目になってしまいました。そういう意味でも私ども被害者ではなかったかと思うのです。しかし、バブルがはじけた後、その協力会社さんからなんとか仕事が欲しい、支払いは手形でもいいからとにかく注文くださいと平身低頭して弊社に来られたのですが、弊社としてはバブルの間、非常に嫌な思いをしてきましたので丁寧にお断りをして、新たな協力会社さんと取引を始めました、
なんともすごい時代でした。
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バブル経済崩壊後の1996年、経営破綻した住宅金融専門会社(住専)の不良債権取り立てを目的とした国策会社「住宅金融債権管理機構(のちの整理回収機構)」が設立された。
中でも悪質債務者への取り立てを任務とする不良債権特別回収部(通称・トッカイ)の奮闘は想像を絶するものであった。
株式会社整理回収機構(RCC)の初代社長は中坊公平氏でした
彼は政府の目標である15年以内の整理回収を実現するために、7年での全化を目指していました株式会社整理回収機構(RCC)は、金融機能の再生と健全化を目指す銀行
・債権回収会社です。以下は整理回収機構についての詳細です。
設立経緯と役割:
住宅金融専門会社(住専)の不良債権処理を目的に、1996年に設立されました。
整理回収銀行と合併し、金融機関の破綻処理機能を持たせました。統一金融機関コードの2213は、安全信用組合→東京共同銀行→整理回収銀行の流れを受けたものです。
主な業務
住宅金融専門会社の債権回収、破綻金融機関の債権買い取り、金融機能の再生のための資本注入などを行います。破綻金融機関の処理を通じて経営責任を追及し、不法行為を排除するための法的処置も行います。